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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)8130号 判決 1986年1月28日

原告

堀見靖郎

被告

日産火災海上保険株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は原告に対し、金一、一七九万円およびこれに対する昭和五九年一一月一二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和五七年一〇月六日午後二時三五分頃

2  場所 大阪府八尾市志紀町南二丁目一三番地先国道二五号線

3  加害車 普通乗用自動車(泉五七り九〇八六号)

右運転者 訴外石垣允顕

4  被害車 普通貨物自動車(泉四四フ九九〇八号)

運転中の原告

5  態様 原告が被害車を運転して国道二五号線を北進し八尾市所在の二俣交差点に近づいたところ、後方から進行してきた加害車の運転手が脇見運転しながら接近してきたのを認めたが、対向車両もあり、また、対面信号が赤色であつたためやむなく停車していたところへ加害車前部が被害車後部に追突

二  責任原因

訴外石垣允顕の運転していた加害車は訴外東洋フレーム株式会社が保有し、自己のために運行の用に供していたものであるところ、訴外東洋フレーム株式会社は、事故当時、被告との間で加害車を被保険車両とする自動車損害賠償責任保険契約を締結(証明書番号二一三―七一四六一八)していたのであるから、自賠法一六条に基づき、原告に生じた本件事故による後遺障害について損害賠償を請求する。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

頸部挫傷、頭部挫傷、心房細動、心不全

(二) 治療経過

入院

昭和五八年七月一六日から同年八月二九日まで通院

昭和五七年一〇月六日から昭和五八年二月一九日まで

昭和五八年九月以降清恵会病院へ通院

(三) 後遺症

原告は、加害車が追突してくるのを認識し、恐怖感にさいなまれながらハンドルにしがみついて追突を待たざるを得ないという、いわば死を待つ恐怖感のため心房細動が発症し、心不全が生じたため、右傷病により現在においても神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができない(後遺障害等級第五級二号)後遺症状が残つている。

2  将来の逸失利益

原告は前記後遺障害のため、その労働能力を七九%喪失したものであるところ、原告の就労可能年数は昭和五八年二月一九日ごろから七年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一、四三三万八、五五七円となる。

計算式

308万9,900円×0.79×5.874=1,433万8557円

(昭和58年度原告と同年代平均賃金)

3  後遺障害慰藉料 一、一七九万円

四  本訴請求

よつて原告は被告に対し、保険金額の限度内である請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告の答弁

一の1ないし4は認めるが、5は不知。

三は不知ないし争う。本件事故と心房細動との間には因果関係はなく、原告には本件事故による後遺障害が存在しない。

第四証拠

記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおり。

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4の事実は、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、乙第六、第七号証、原告本人尋問の結果によれば同5の事実が認められる。

第二責任原因

請求原因二の事実は、被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。右によれば、被告は、自賠法一六条により、保険金額の限度内で本件事故による原告に損害が発生しているときは、その賠償をすべき責任がある。

第三本件事故と原告の症状との因果関係

一  成立に争いのない甲第一ないし第四号証、第九号証の一ないし三、乙第六、第七、第九、第一五、第二一号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一二ないし一四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇、第一一号証、第一六ないし第二〇号証、第二二、第二三号証を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(一)  本件事故は、被害車であるマツダボンゴ車(昭和四九年四月初登録)の後部でリヤーバンパー、リヤーボデイ部に加害車である日産セドリツク(昭和五七年一月初登録)の前部バンパー、フエンダー部が衝突したという追突事故であつて、被害車は、本件事故によりリヤーバンパー、ステ、パネル、左右アフターパネル、ライセンスランプ、左右テーブルランプ、クーラント、マイナーの取替、リヤーボデイの鈑金およびその他後部に取付られていたラジエーターの脱着修理を要し、修理費として取替部分代四万一、六七〇円、ペイント代五万五、〇〇〇円、鈑金代二万五、〇〇〇円その他脱着工賃等で総合計一九万六、四七〇円を必要としたこと、加害車は、本件事故によりヘツドランプ、フードパネル等の取替部品代二一万七、五五〇円、ラジエーターの脱着修理等の工賃八万七、五〇〇円、ペイント代五万二、〇〇〇円の総合計三五万七、〇五〇円を必要とする各損傷を受けた。

(二)  原告は、本件事故当日、近藤整形外科で受診し、翌日から昭和五八年二月一九日まで市立柏原病院で治療を受け、そのころ原告の症状が固定したとして市立柏原病院中嶋医師作成の昭和五八年五月一〇日付後遺障害診断書が作成され、原告は右診断書に基づき自賠責保険会社である被告会社に対して被害者請求したが、これを審査した難波調査事務所では、右後遺障害診断書による「日に二回位の頻度で二〇ないし三〇秒間発作性の言語障害、視力障害を訴える」という原告の主訴及び「眼科的に異常所見なし。脳波で西側前頭葉に異常所見を認める」との検査結果並びに「事故との直接関係は断定し難いが、過去にはかかる症状は訴えません」という中嶋医師の所見をもとに自賠責顧問医の意見(顧問医判断資料として診断書、後遺障害診断書のほかレントゲン検査結果及び脳波検査結果が提出されていた。)を聴取したところ、顧問医は事故と原告の後遺症状とは医学上の関係がない旨判断したため、その旨原告に通知した。

市立柏原病院における治療経過をみると、昭和五七年一〇月七日の初診時、めまいと歩行時のふらつきを訴え、頸椎を二方向からレントゲン撮影がなされたものの頸椎骨に異常はなく、翌八日には言語障害のあつたことと人間の顔が十秒間ほどゆがんで見えたことを訴え、更に、視力障害をも訴えたために眼科をも受診したが、眼科医師の診断は、視力、眼圧、眼球に異常は認められない。原告には一過性の中枢性の異常が疑われるとのことであつた。続いて、同月一三日には車の中で距離が遠くなつた、笑いたくなると訴えたことなどから、同月一五日脳波検査が行なわれたが、みるべき異常がなかつた(但し、前頭葉に異常波があつた。)その後はふらつきについての訴えがあつたものの、これもまもなく消失し、続いて、同年一一月六日精神内科を受診したところ、神経学的検査において異常はなかつたが、同内科医師は、大脳後頭葉からの視放線の障害を考え、シンナーのような有機溶媒吸入による脳障害の可能性も皆無とはいえないとの所見であつた。そこで、同月二四日、前頭葉の異常波について再検査したが格別の異常も発見されず、その後、気分が悪くなるとの訴えは続いたものの全体として原告の症状は軽快へと進み、昭和五八年二月一九日には治療を中止した。

また、原告は、昭和五二、五三年ごろから一日に二ないし三回、一ないし一五分間程度持続する頻脈発作が自覚症状として認められていた。

(三)  原告は、昭和五八年七月一四日、徳島市所在の多田医院を訪ねて心電図検査を受けた結果、頻脈性の心房細動を指摘され、徳島大学医学部附属病院に転医して外来診察を受けた結果、頻脈と不整脈が認められたため、同月一六日、同病院第二内科に入院し、心電図検査の結果から心室性頻脈を伴う心房細動及び不完全右脚ブロツクと診断されて頻脈性の心房細動と心不全の治療を受け、翌一七日にはすでに心不全は軽快し、呼吸困難、全身倦怠感が消失、心房細動は、同年八月三日、キニジンの投与により除細動の治療を開始した結果、そのころには正常心電図となつて心房細動も消失し、経過観察ののち一般状態とともに良好となつたため、昭和五八年八月二九日同病院を退院した。

(四)  そこで原告は、徳島大学医学部附属病院で治療を受けた心房細動は本件事故による後遺障害である旨申立て、再度、被告に対して自賠責保険の被害者請求をしたことから、これを審査した自動車保険料率算定会難波調査事務所では、市立柏原病院診療医中嶋医師、徳島大学医学部附属病院診療医井内医師に原告の病状等を照会し、右各回答(中嶋医師は昭和五八年一〇月七日付、井内医師は同年九月二八日付)を得るとともに関西労災病院内科で行なわれた再診断結果(同病院医師久堀作成の昭和五九年三月二日付後遺障害意見書)を資料として本部禀議をした結果、原告の心房細動と本件事故との間には因果関係がないとして、昭和五九年四月一一日ころ原告にその旨通知した。

これを不服とした原告は、昭和五九年七月二日、京都逓信病院外科高橋医師の診察を受け、同医師作成の同日付け後遺障害診断書をもとに同月一三日ごろ異議申立を行つたが、本部禀議の結果、同調査事務所では、同年九月二〇日、心房細動の発現は、(原告の場合)冠動脈硬化などの老人性変化や内因的心疾患の存在が疑われるところから、事故との直接的因果関係を認めることが困難であるうえ、昭和五九年現在では心房細動は消失していること、現在は心房細動による一過性脳虚血発作とされているが、心房細動が消失しているのに発作症状が続いていることからすると、現在の発作症状を心房細動を原因とする塞栓によるものと考えることができないこと、そもそも現症に対し脳外科的精査は行なわれておらず、一過性脳虚血発作の存在及びその原因についてすら明確でなく、むしろ、頸動脈硬化等脳外の血管障害に由来することも考えられることを理由に本件事故との因果関係を否定する旨回答した。

(五)  ところで、原告は、関西労災病院内科において、本件事故と心房細動発作との関連性を検討してもらうべく昭和五九年二月二〇日に退院するまで入院検査を受けだが、右検査の結果では、原告の心房細動発作の原因として虚血性心疾患の存在を考えておく必要があり、昭和五八年一一月四日及び昭和五九年二月一七日施行の運動負荷心電図における所見から、通常、虚血性心疾患の存在を強く疑うとのことであつて、心房細動発作の誘因として交通事故が関係している可能性は否定できないが、事故発生日時と心房細動との間に約一一か月の期間があるため事故と心房細動とを結びつけることは、全くの推測の域を出ないものと考えるのが妥当ではなかろうか、とのことであつて、冠動脈造影を施行する前に原告が退院したため、いずれにしても断定しえない、とのことであつた。

二  右事実によれば、原告に発症したとされる一過性脳虚血発作は、市立柏原病院における治療経緯をみても、その病状に対する治療方針が採られていないのに、右症状は悪化することなくむしろ軽快しており、かつ、市立柏原病院では、外科、眼科、精神内科でもそれぞれ診察及び検査をした結果によるも同病院通院期間中には原告に一過性脳虚血発作が発症したものと診断していないことを考え合わせると、原告に一過性脳虚血発作が発症したものと認めることができず、また、多田病院で受診した際には心房細動が発症していることは、これを認めることができるものの、損害の程度から被害車に加わつた衝撃の程度がさほど大きいものであつたとはいえない事故態様及び事故発生日から約一一か月経過して心房細動が発症していること、原告には昭和五二、五三年ごろから頻脈発作があつたことを考慮すると、本件事故と右の心房細動との間に因果関係があつたものと認定することはとうていできない。

三  次に甲第八号証、乙第二四号証を考えるに

(一)  京都逓信病院高橋裕医師作成の意見書によれば、右意見書は原告の供述を基礎資料とし、原告の心房細動及び発作性脳症状の各症状について、本件事故と因果関係の存在することは医学的に合理的に説明しうると結論付けているのであるが、まず、心房細動についてこれをみるに、徳島大学附属病院井内新医師の「心房細動発生の誘因として交通事故が考えられる。」との意見を、医学的にみて、大きなよりどころにしていることがうかがわれるものの、右井内医師作成の昭和五八年九月二八日付回答によれば、心房細動の原因としては、一般に、虚血性心疾患、心臓弁膜症など種々のものがあるが、原告の場合、老人性変化が考えられ、また、治療に容易に反応したことなどから心房細動発生時期が比較的最近であると考えられるところから心房細動の誘因として交通事故が関与した可能性もあると考えられたが、交通事故前後の心電図がないため、交通事故が誘因であるとした点は、あくまで推測の域を出ない、というのであるから、井内医師の、医学的根拠のない推測を前提に高橋意見書が作成されているものと評価せざるを得ず、次に、発作性脳症状についても、原告の供述が基礎資料となつており、また、井内医師が診断したという「事故により心房細動が発生し、そのため生じた微小塞栓による一過性脳虚血発作症状が頻回に出現した。」との意見を大きなよりどころとしていることがうかがわれるものの、右にみた如く、市立柏原病院での通院中、一過性脳虚血発作が存在したと認めること自体、何らの根拠もない推測であるうえ、徳島大学附属病院においては一過性脳虚血発作に関し何らの検査も行なつていないのみならず、これに対する治療行為も実施されていないのであつて、原告の従事する自動車修理の際に使用するシンナー等の有機溶剤液の吸入によつても脳障害が発症することがあるとの井内証言を前提にすれば、井内医師が右の如く診断したとすることにも疑問があるのであつて、高橋意見書はその前提認識に誤りがあるものと断せざるを得ない。

(二)  和歌山県立医科大学法医学教室若杉長英作成の鑑定書(乙第二四号証)によれば、本件交通事故と原告の障害との因果関係に関し、原告本人尋問の結果並びに証人中嶋或郎、同井内新の各証言を除くその他の訴訟資料に基づき、原告には、市立柏原病院へ通院していた際に訴えていた初診時の悪心、めまい、歩行時のふらつき、その後の言語障害、人の顔が変形してみえる、見ているものの距離が遠くなつていくなどの発作症状は一過性脳虚血発作に発現する症状とは異質のものであつて、仮に、事故により心房細動が発病しこれにより生じた微小塞栓が市立柏原病院へ通院していたころに発症していたのであれば、心房細動に対する処置を全く行なつていない同病院通院期間中に各症状が悪化せず、むしろ改善している点に矛盾があること、心房細動が明らかに存在した徳島大学附属病院入院時には一過性の脳虚血発作症状が全く認められていない点も不自然であることから、事故の発生以降、原告に一過性脳虚血発作が発症したものとはいえないのみならず、原告の職歴から、原告の右の如き症状は有機溶剤の慢性中毒症状によるものとして医学的に矛盾しないとし、原告の心房細動については、心電図上に心筋の虚血性変化を疑わせる所見がみられるところから、最も可能性の高い原因としては慢性虚血性心疾患が考えられるのであつて、原告の血圧が昭和五八年一二月ごろから徐々に上昇している点から考えて、動脈硬化症が進行しているものと推定され、原告に考えられる慢性虚血性心疾患は冠状動脈の硬化、狭搾によるものと判断しうること、更に、その発症時期も、原告は徳島大学医学部附属病院初診時に、五ないし六年前から一日に二ないし三回、一ないし一五分間ぐらい持続する頻脈発作があつたと述べており、右自覚症状を前提にすれば、事故以前から原告には精神的、肉体的ストレスによつて一過性の頻脈をきたし易い体質であつたと想像されるうえ、市立柏原病院通院中には、同病院の診療録上、頻脈によると思われる症状も発現していないことから、昭和五八年に多田診療所を受診するきつかけとなつた起坐呼吸や労作性呼吸困難が発現した時期の少々以前を発症時期とするのが妥当であると断じ、本件事故と原告の症状との間には因果関係は存在しない、と結論づけている。

四  以上の事実及び証拠の判断を総合すると、原告に一過性脳虚血性発作が発症したこと自体に疑問があり、むしろ、原告の主訴症状は有機溶剤の慢性中毒症状と考える方が蓋然性が高いものというべきであるうえ、心房細動の原因も虚血性心疾患を疑うのが合理的であつて、いずれにしても、原告の症状と本件事故との間に因果関係を認めることはできない。

第四結論

右によれば、原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないから棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する

(裁判官 坂井良和)

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